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やや日も傾いた夕刻、アレクシアは、いつものように帰宅して。
アレクシア
薄いコートをハンガーにかける。
デスクの椅子に鞄を置き、一息。
アレクシア
溜息が落ちた。
ここ数日、一人になるとそうであるように。
アレクシア
自分に想いを寄せてもらうことなんて、考えたこともなかった。
アレクシア
そういうものは、なんでだか、ずっと遠くにあるような気がしていた。
*
『私は毎日アナタの事が好きになっていくのに、それでは不公平だと思いませんか?』
アレクシア
返事は、待ってほしいと言った。
とても即答できなかった。
アレクシア
好き。嫌い。ふたつに分ければ、好きだけれど。
アレクシア
自分の好意にどんな名前がつくのか、わからなくて。
アレクシア
あれから、自分もあの二人も、少なくとも表向き、普通の顔をしている。
本当に平然として見えるのは、兄の方だけだけれど。
アレクシア
でも、いつまでもごまかしているわけには、いかない。
アレクシア
目を閉じて、深く息をする。
自分の中に目を向けるために。
アレクシア
好き嫌いで言うのなら、彼らを嫌いとは言えない。
それがどういう種類のものかを置けば、好きの側にいるのは、そう。
アレクシア
特に、兄のほうを嫌っておけなかった自分のことは、自分でもどうかと思うが。
アレクシア
一人暮らしだったはずの生活に、理由もわからないまま年上の男が一人増えて。
挙げ句、自分でもう一人、増やしてしまい。
アレクシア
……もう一人増やしてしまったから、むしろ、気が抜けてしまったのかもしれないが。
アレクシア
正直。今の自分の生活のことを他人に説明しろと言われたら、かなり困る。
アレクシア
「好き、……好き。どんな『好き』か、か……」
アレクシア
例えば、友人。例えば、家族。
単純に『好意』と言ってつづめても、そこに違いがあるのは確かだ。
それは当然、そうだろう。
アレクシア
これまで、言葉にして切り分けようと思ったことが、なかっただけ。
アレクシア
まずもって、兄の方を友人と呼ぶのはかなり無理がある。
彼がここにいる理由は未だにわからないが、対等な関係を築いてきたとはとても言えない。
アレクシア
年下の小娘。
そんなふうに扱われているのを感じる。良くも悪くも。
だから余計に、あんなことを言い出すとは思っていなかったのだけれども。
アレクシア
一方の弟の方は、一緒に暮らしているからとか、命の恩人だからとか、時折そんな事を言いながら、アレクシアにとても気を遣ってくれる。
アレクシア
そのありがたさを、ずっと感じていた。
でも、だから、友人というのは少し、違う気が、して。
アレクシア
たぶんわたしは、その優しさに、ずいぶん甘えていた。
アレクシア
いや。それはきっと、彼にだけでなくて。
アレクシア
最初の頃はどうだか知らないが、それでもずいぶん前から。
アレクシア
本当に。わたしは、あまりに至らない。
いつも、自分のことばかりで精一杯。今も、そう。
アレクシア
それどころか、自分の気持ちだって、よくわかってもいないし。
アレクシア
嫌いじゃない。……そうじゃない。
わたしはたぶん、ちゃんと彼らが好きだ。
数日前まで思っていたより、たぶん、はっきりと。
アレクシア
いつの間にか、彼らのいる生活が当然のようになっていた。
家にいて、彼らの気配がすることに慣れていた。
アレクシア
それを、どこか、居心地良く思うようになっていた。
アレクシア
今の生活は、あと数日もせずに終わってしまう、かもしれない。
わたしが、答えを出したら。
アレクシア
いや。ホワイトデーの日に、『今まで通り』は終わってしまっている。
アレクシア
今はただ、二人が待ってくれているだけだ。
アレクシア
どちらかを選ぶか、どちらも選ばないか。
アレクシア
どうしたって、三人、何も変わらずにいられないのはわかっている。
アレクシア
この期に及んで、傷つきたくないと思っている自分もいる。
アレクシア
断れば、出ていってしまうのじゃないか。
アレクシア
好きだと言ってくれた相手に、その言葉を受け入れないまま、そばにいてくれとは言えない。
アレクシア
出ていくというなら止められないし、そうでなくとも、これまで通りにそばにいることができるはずもない。
アレクシア
何かを選ぶというのは、そういうことだ。
選ばなかったものを、手放すということ。
アレクシア
「……手放したくないのか、わたしは……」
アレクシア
それは、なんというか。
幼児のような甘えっぷりではないだろうか。
アレクシア
自分がそんなに子供だとは気づきたくなかった。
アレクシア
まあ、具体的に気づいても気づかなくても、まさか二人に揃って「行かないでくれ」とは言えないだろうが、どう考えても。
アレクシア
好き。好意。
……そばにいてほしい気持ち。
アレクシア
特別な『好き』、というんじゃないのか、それは?
アレクシア
なのに、だれかを、すきに、なる、こと。
アレクシア
どうかしているとしか、言いようがないだろ。
アレクシア
特別な一人を選ぶことを、恋って、言うんじゃないのか。
アレクシア
腰を下ろしたベッドに、横向きに倒れ込む。
アレクシア
特別な一人を選ぶのが、恋。普通はそう。
アレクシア
選べないなら……それは、恋ではないということに、なる、のだ、ろうか。
アレクシア
それでも、二人に誠実でいようと思ったら。
アレクシア
そのとき、わたしにできることを、考えたら。
アレクシア
……ぎしっ、と胸が軋んだ。そんな気がした。
アレクシア
傷つきたくない。
わかっていて、傷つくのは怖い。
アレクシア
上手く呼び分けられなくて、だから口にすることも少なくて。
アレクシア
ただ「お前」と呼びかけて、わかってもらえることは……
アレクシア
名前で呼ぶよりも、相手を近しく思うことだったのかもしれない。