小雨が降るなか、階段下で電子タバコの煙をふかす男がいる。
1号室の住人。
アレクシア
駐車場の方から、傘を差して階段の方へ歩いてくる女。
5号室の住人。
アレクシア
ちらと男に目を留めて、会釈をひとつ。

そのまま小さい会釈を返す。
アレクシア
鞄を開きながら階段を上ろうとして、足を止める。
アレクシア
足を止めて、鞄の中をごそごそ、何か探すふう。

一瞥。
視線を向けずに気配だけでその様子を観察する。
アレクシア
一通り鞄の中を探した後、んん、と小さく呻いてから、スマホを取り出して。
アレクシア
画面を眺めて二秒。それから、なにか短くだけ操作して戻す。

しばしそのままでいたが、合点がいったように。
「鍵か」と声に出した。
アレクシア
「え」

「忘れたのかと」

会話としての声量。
アレクシア
「ああ、はい」
アレクシア
「どうやらそのようで」

「今日はお連れの方が見えませんね」

暗に、一緒に住んでらっしゃるんでしょう?というニュアンスを含んだ言い方。
アレクシア
ん、とひとつ瞬いて。

「お見かけするときは概ね2人左右に」

女の両隣を指さす。
アレクシア
「……左右……」
アレクシア
「いや……まあそう……そう見えます?」

「目立つ時だけ記憶に残ってるだけかもしれませんが」

「まぁ」

ゆるやかなイエス。
アレクシア
「…………」
アレクシア
目立ってるのか。まあ目立つな。

目立ちますね。

「貴女が両隣に男性を並べて歩く財閥の御令嬢様なのでしたら顔は売っておかねばと思いまして」

「売れない役者なものですから」
アレクシア
「はい?」
アレクシア
「……あの……いや、」
アレクシア
「学生です、ふつうの」

「おや」

「もっと珍しい人種のようだ」
アレクシア
「珍しい……」
アレクシア
何を言わんとしているのかはわかるが。
アレクシア
わかるのだが。

「銀幕でもあんまり見ませんね」

「所謂“繁華街”にはいらっしゃいますけど」
アレクシア
呻いた。
アレクシア
「なんというか……」
アレクシア
「いや……うーん……」
アレクシア
あれをなんと言ったものか、自分でも未だにまったくわからないので。
アレクシア
「……あの」
アレクシア
「別にわたしがこう……囲っている、とかではなく……」

「てっきりそうかと思ってましたよ」
アレクシア
再度呻いた。
アレクシア
「……同居は単になりゆきというか……」

「大抵の出来事は成り行きでしょう」

「継続してる意味は人それぞれかもしれませんが」
アレクシア
あれは出ていってくれなくて。
などと言うこともできず。

「まぁ」

「“逆”もあるかもしれませんけどね」
アレクシア
「逆」

「貴女がお2人に」

言いつつ、足元のかわいらしい紙袋をコンビニで買ってきたばかりのゴミ袋に空ける。

「そちらの方がまぁ、聞きますね」

中身は手作りらしいお菓子。
アパート前のごみ収集ボックスに置く。
アレクシア
「……あー……」
アレクシア
曖昧に呻いた後。
アレクシア
「それ、よろしいんですか」
アレクシア
ちら、と視線を移す。

「そういうルールなので」
アレクシア
「……役者さんとおっしゃってましたけど、そちらの関係で?」

「概ねそうですね」
アレクシア
「概ね?」

「概ねです」
アレクシア
「……概ねでない部分は?」

肩をすくめる。

「そういうことにしておいた方がいいこともある」

「と、いうやつです」
アレクシア
「……そういうことにしておきたいわけですね……?」

「ご理解いただけたようで何より」
アレクシア
そういうことにしておきたい相手がいるんだな。
と思ったところで。
アレクシア
「……咲さんのところの方でしたっけ」

「そうですよ」
アレクシア
「あ、いえ。気を使ってらっしゃるのかなと思って」

「ええ、一般的な気遣いというやつですね」
アレクシア
一般的に、ひとさまの手作り品を始末するのは……恋人への気遣いだよな……。
アレクシア
「……仲がよろしいんですね」

「貴女がた程度には?」
アレクシア
「……咲さんはあなたのことを話すとき、すごく楽しそうだと、うちの……弟のほうが言ってましたよ」
アレクシア
「たまにお世話になっているようなので」

「あぁ」

「兄弟なんですね」
アレクシア
「ああ、はい」
アレクシア
「まあ……雰囲気は違いますけど、顔は……」
アレクシア
顔はそっくり。顔は。

「雰囲気だけですか?」
アレクシア
「?」
アレクシア
軽く首を傾げる。

「性格とか」

「人相が」
アレクシア
「ああ……それはまあ、性格なんかは全然違いますね……」

「私には兄弟と言えないぐらい違って見えますね」
アレクシア
「……たとえば?」

「眼鏡の方、私と同類ですよ」
アレクシア
「同類……」
アレクシア
目の前の男を見る。

手にした電子タバコを軽く揺らして。

「……生きた鶏を渡されて、さほど躊躇いなくしめれるかどうか」

汎用的な例えだ。
アレクシア
「まあ……躊躇しないでしょうね……」

「もっと言うと、その鶏が猫や犬に変わってもあんまり感覚が変わらないか、ですね」
アレクシア
正直、あんまりしない気がするな……と思って黙った。
アレクシア
「……あー、と……」
アレクシア
「……ご自身もそうだということになりますけど……」

「そうですよ」

「まぁ、ただの性質の話です」

「難儀な方と暮らされてますね」
アレクシア
「……それは、まあ……そうかもしれませんね」
アレクシア
否定しなかった。
アレクシア
「ただ、気は……遣ってくれていると、思います」
アレクシア
「一応は」

「努力」
アレクシア
「してくれていると思いますよ」
アレクシア
「……たぶん」
アレクシア
わずかばかりためらいがちに、そう付け加えた。

「努力以外で身につきませんからね」

「結構なことじゃないですか」
アレクシア
「……あの」
アレクシア
「ご自身で同類と仰るから、お聞きしますけど」
アレクシア
「……努力し続けるのは、辛くないですか」

「さぁ……」

「結果次第だと思いますけどね」

他人事のように言う。
アレクシア
「結果」
アレクシア
繰り返して。
アレクシア
「……あんまり」
アレクシア
「笑っているところ以外、見せないので」
アレクシア
「……わかりづらいんですよね」

「はは」

「笑っているところだけ見せる、という心境そのままだと思いますが」
アレクシア
「そうですかね」

「聞いてみては?」
アレクシア
「ご自身だったら、聞かれて素直に答えます?」

「答えると思いますけど」

「聞かれませんからね」

概ね。
アレクシア
「……なかなか聞けませんからね……」
アレクシア
聞いたら聞いたで、努力しなくて良いんですか?とか言ってきそうな気もする。

「まぁ、聞いても聞かなくても結果は変わらないと思いますが」
アレクシア
「そうでしょうか……」

「変わるなら、何かがあった時でしょうし」

「面倒ごとはないに越したことはない」
アレクシア
少し黙る。
アレクシア
考え込むふう。
アレクシア
「面倒になって、……それでちゃんと言ってくれるなら、良いんですけどね」

「話し合わないんですか?」
アレクシア
「実は、こう、敬遠していた時期も長かったので……」
アレクシア
「いまさらどうしていいか、わからないときもあって」

「一般論ですが」

「人生80年ですよ。何年の関係にしろ、先があるなら現状が最短では?」
アレクシア
「先……」
アレクシア
「先か……」

「来年なり今年なりで終わるなら考えなくともいいことでしょうし」
アレクシア
「……そうですね。……本当に」
アレクシア
「終わらせるつもりがあるわけでは、ないんですけど」
アレクシア
「……どうも、甘えてしまって」

「大抵は」

「お互いそんなものでしょうしね」
アレクシア
「ご自身もそうなんですか?」

「経験則にでも聞こえましたか?」

「……一般論ですよ」
アレクシア
少し微笑う。
アレクシア
「わたしは“普通の人”なので」
アレクシア
「一般論でもいいんです」

「今話したことをそのままお伝えになればよろしいのでは?」

「案外的を射ているかもしれませんよ」
アレクシア
「……だといいんですけど」
アレクシア
「相手は“難儀な”やつなので」

「ご武運をとだけ言っておきましょう」
アレクシア
「はは」

アパートの前に止まった収集車が、先ほど捨てた手作りの菓子が入ったゴミ袋を回収するところを見ていた。

ポケットからキーケースを取り出した。

会釈をひとつして、すぐそばの1号室の扉へ。
鍵を開ける音、扉の閉まる音。
アレクシア
去っていく男に、こちらも会釈をひとつ。
アレクシア
それから、こちらは階段を上がっていく。
アレクシア
そうして、弟が起きてくるなり、兄が戻ってくるなり。
それを、部屋の前で待つ。しばらくの間。
アレクシア
雨の音を聞きながら。