休日の夕暮れ時。

本日のメインは筑前煮だ。

下ごしらえされた具材が煮込み時間ごとに鍋に投入され

落し蓋をされてことことと揺れる
シャルル:兄
「さて、あとは煮込むだけですね」
シャルル:兄
鍋の底が焦げ付かないようたまに転がして
シャルル:兄
晩御飯のいい匂いを漂わせる
アレクシア
文庫本を捲っていた手が止まる。
アレクシア
「お疲れ」
シャルル:兄
「アレクシア」
アレクシア
「ん?」
シャルル:兄
「あとは煮込むだけですから、ゆっくりお待ちくださいね」
アレクシア
「……うん」
アレクシア
頷いて。けれど、いつもなら本へと戻っていく視線が、なんとなくそこに留まる。
シャルル:兄
「……?」
シャルル:兄
視線がぴたりと合う
アレクシア
「お前、」
アレクシア
言いさして、少しためらい。
アレクシア
「……気を遣ってくれてるよな。いつも」
シャルル:兄
「おや」
シャルル:兄
「そう見えますか?」
アレクシア
「まあ……うん」
シャルル:兄
火を弱めてテーブルへ
シャルル:兄
正面の椅子に座って
シャルル:兄
「気にされていたんですか?」
アレクシア
「……多少はな」
アレクシア
「……大変じゃないかと思ってはいた」
シャルル:兄
「…………」
シャルル:兄
「私が」
シャルル:兄
「気を遣わなくなったら、どうなるとお考えですか」
アレクシア
「…………」
アレクシア
「……わからん。……わからないくらい、ずっとそうだったということしか」
シャルル:兄
「んふふ」
アレクシア
「どうして笑う?」
シャルル:兄
「何をすれば、気を使っていないと……思われるのかなと」
シャルル:兄
「考えて、何をしても」
シャルル:兄
「そういわれるのではと」
アレクシア
「別に、気を遣われるのが嫌というわけでもないんだが……」
アレクシア
「そういうのは、努力以外で身につかないと」
アレクシア
「そう、……言われたことがある」
アレクシア
「……だから、なんというか」
アレクシア
「…………」
アレクシア
曖昧に消えていく言葉。
アレクシア
それから、ふと溜息のように。
アレクシア
「お前、そういうのが辛くはないかと、思って」
シャルル:兄
「…………」
シャルル:兄
「ふふ……」
シャルル:兄
「はは……」
シャルル:兄
「辛いように見えますか?」
シャルル:兄
向かい側から手を伸ばして、アレクシアの手に触れる。
アレクシア
「……お前はいつも笑ってるから」
アレクシア
「見せないだけなのか、そうじゃないのか」
アレクシア
「時々、わからない」
シャルル:兄
立ち上がって、そのまま乗り出すように上体を倒し
シャルル:兄
顔を近づけて
シャルル:兄
「努力以外で身につかない、ですか」
シャルル:兄
「たとえ、そうだとしても……私は」
シャルル:兄
「したくない事は、しませんよ」
アレクシア
間近の瞳をじっと見つめる。
アレクシア
たぶん、今までで一番近く。
シャルル:兄
微笑む
アレクシア
「……ずるいやつ」
アレクシア
小さく溜息。
シャルル:兄
「ふふ」
シャルル:兄
「アレクシアこそ、なにか……」
シャルル:兄
「したい事は、ないんですか?」
アレクシア
「したいこと」
シャルル:兄
「行きたい場所、欲しいもの……」
シャルル:兄
「そういったものを叶えたいと思うのは」
シャルル:兄
「私のしたいことでもあるのですが」
アレクシア
「……わたしは、そういうのは……あんまり上手くないな」
アレクシア
「お前たちがいてくれて、……それだけで十分だと思ってる」
シャルル:兄
「ふふ……」
シャルル:兄
「お互い様ですね」
アレクシア
「わたしは、それだけで十分、だけでもわがままを言ってると思ってるが」
シャルル:兄
「控え目さんですね」
アレクシア
「普通、好きな相手を二人は持たないと思うし」
アレクシア
「ふたつ許してもらうことなんてないと思うぞ」
シャルル:兄
「…………」
シャルル:兄
身体を戻してテーブルを回り込み、アレクシアの後ろにまわる。
シャルル:兄
両肩に手を添えて腰を曲げ、覗き込むように
シャルル:兄
「私に、好きな人ができる事くらい」
シャルル:兄
「ないかもしれませんね」
アレクシア
「またそういうことを……」
アレクシア
すぐ隣にある頬が笑っているのに、不思議な気持ちになる。
アレクシア
確かに、ずっと笑っているのに。
最近は、前とは少し、変わった気がする。
シャルル:兄
「私も、シャルルも」
シャルル:兄
「たぶん、同じですよ」
シャルル:兄
「アナタが笑ってくだされば、それだけで……嬉しい」
シャルル:兄
頬に口付ける
アレクシア
わずかにだけ、固まる。それから、小さく呻く。
アレクシア
「お前」
アレクシア
「そういうことを、真面目に言うな」
シャルル:兄
「え~」
アレクシア
「え~、じゃない……」
アレクシア
口付けられた頬に触れる。
アレクシア
目を閉じて、もう一度溜息。
シャルル:兄
「…………」
シャルル:兄
「もっと、触れてもいいですか?」
アレクシア
「え」
アレクシア
「……や、あの……」
シャルル:兄
手をとって指先に。
アレクシア
「ぅ、」
シャルル:兄
首筋に。
シャルル:兄
「…………気を」
シャルル:兄
「使わないでほしい、ですか?」
アレクシア
「そ、れを」
アレクシア
「今」
アレクシア
「聞くか、ふつう……っ」
シャルル:兄
「んふふ」
アレクシア
笑うな、と。ほとんど呻くような声。
シャルル:兄
「かわいらしいですね」
アレクシア
「お前のかわいいの基準はどうなってるんだ」
シャルル:兄
「鏡をご覧になるとよろしいかと」
アレクシア
「…………見ない」
アレクシア
顔が赤いのくらい、自分でもわかっている。
シャルル:兄
「おやおや」
シャルル:兄
横にまわって、アレクシアの顎に手を添え
シャルル:兄
自分の方を、向かせて
アレクシア
目が合う。
シャルル:兄
「そんな顔を見せてくれるなら」
シャルル:兄
「何をどれだけ砕いても惜しくはない……」
シャルル:兄
「なんて、言ったら」
シャルル:兄
「困るのではないですか?」
アレクシア
「……馬鹿」
アレクシア
「お前が言うと」
アレクシア
「冗談でも、笑っていいか迷う」
シャルル:兄
「ふふ……本気ですのに」
シャルル:兄
「こうして」
シャルル:兄
「触れることを、許してもらえるのは……傍にいられるのは」
シャルル:兄
「幸福な事ですよ」
シャルル:兄
額へと。
アレクシア
「…………」
アレクシア
「馬鹿」
シャルル:兄
「ふふ」
シャルル:兄
「好きですよ、アレクシア」
シャルル:兄
「許してもらっているのは……」
シャルル:兄
「私たちも、同じです」
アレクシア
「……そうか?」
シャルル:兄
「ええ」
アレクシア
「……なら」
アレクシア
「いい」
シャルル:兄
「ふふ……」
シャルル:兄
頬に手を添え、唇を重ねる。
アレクシア
かすかに震えて。頬に添えられた手に、触れる。
シャルル:兄
少しだけ長くて、少しだけ。
シャルル:兄
少しだけ、深い。恋人のようなキス。
シャルル:兄
激しくはない。必死でもない。いたわるような。
アレクシア
その感触に、それでも息のできないような気持ちになりながら。
アレクシア
今このときだけは、委ねてしまう。
アレクシア
いつだって少し怖くて、いつだって少し不安で。
アレクシア
けれど。
アレクシア
今、このときには。
シャルル:兄
顔を放す。
シャルル:兄
「…………」
アレクシア
「…………」
シャルル:兄
「伝わっていますか」
アレクシア
「……ん」
シャルル:兄
「…………それなら、よかった」
アレクシア
「……ありがとう」
シャルル:兄
「ふふ」
シャルル:兄
「……さて、ちょっと鍋を見てきますね」
アレクシア
「ん」
シャルル:兄
そこから離れて、コンロの方へ。
鍋の中を見て、少し揺らし、火を止めて。
シャルル:兄
「…………夕食の準備はこんなものですね」
シャルル:兄
一歩先に踏み出すのにも不安が付きまとう。
シャルル:兄
何をするにも慎重になる。
シャルル:兄
それでも進めるのは、信じられるから。
シャルル:兄
振り向いて
シャルル:兄
「晩御飯まで、どうしましょうか」
アレクシア
ちらりと時計を見る。もうすぐ、弟のほうも帰ってくる気がする。
アレクシア
それから、視線を戻して。
アレクシア
「…………」
アレクシア
「……どうしましょうか、というか……」
アレクシア
「…………」
シャルル:兄
「また……」
シャルル:兄
「3人で、映画でも見ます?」
アレクシア
「……ふふ」
アレクシア
「じゃあ、見たいもの探しからだな」
シャルル:兄
「ええ」
シャルル:兄
「サブスクリプションとか契約しましょうか。アレクシアは」
シャルル:兄
「どんなものが好きでしょうね。」
シャルル:兄
「……きっと」
シャルル:兄
「何を見ても、楽しいのでしょうけれど」
アレクシア
「うん」
アレクシア
「……なんでも」
アレクシア
「きっと、楽しい」
アレクシア
声は優しい。
アレクシア
いつもよりも、少しだけ。

やがて、玄関の鍵を開ける音が聞こえてきて。

もうひとりのシャルルが帰宅する。

いつも通り、特別な事はなく。

しかし、それこそが特別なのだと

心の中に宿したまま。