8月3日。

夕刻、まだ陽の落ちきらないうちに、アレクシアが帰宅する。

真夏の外気から、ひんやりとした室内へ。
アレクシア
「ただいま」
シャルル:弟
「おかえり」
シャルル:弟
乾いた食器を棚に戻しながら振り返る。
アレクシア
靴を脱いで、買い物袋を机に。
それから、一度、部屋に鞄を置きに行き。
アレクシア
「……片付けもの?」
シャルル:弟
「ああ。暇だったから。」
シャルル:弟
「アイツは?」
アレクシア
「今日は知らんな。今日は迎えに来なくていいと言ったから」
シャルル:弟
「へぇ……めずらしいな」
アレクシア
「ん。……なんだか、ちょうど用があるとか言ってたぞ」
アレクシア
テーブルに置いた袋から、食材を仕分けしつつ。
アレクシア
「あいつ、何してるのかよくわからないからな……」
シャルル:弟
「結局何も知らないもんな……仕事とか」
アレクシア
「……そうだな」
アレクシア
正直、それでいいと言うのは、難しい。
だから最近は、何も言わずにいる。
アレクシア
知りたい気もするが。
知りたがれば、いなくなってしまうような気もする。
シャルル:弟
「ま、アレクシアに迷惑かからないならいいんだけどさ」
アレクシア
「迷惑、なあ……」
アレクシア
仕分けた食材を持って台所へ。
シャルル:弟
「何作るんだ?」
アレクシア
「鶏のトマト煮……と、ほうれん草のキッシュ」
アレクシア
そして冷蔵庫には昨晩から、チョコレートのテリーヌが冷やしてある。
シャルル:弟
「へぇ……なんか」
シャルル:弟
「アレクシアが料理作るの、珍しいな」
アレクシア
「あいつが来てからはあんまりやらなくなっちゃったからな」
アレクシア
あんまりというか、ほとんどというか。
アレクシア
「別にそこまで下手じゃないと思うぞ。上手いかはわからんが」
シャルル:弟
「楽しみにしてる」
アレクシア
「ん。まあ……あんまり期待するなよ」
アレクシア
包丁やらまな板やらを並べて。
アレクシア
「座ってていいぞ」
シャルル:弟
食器は片付けが終わっている。
シャルル:弟
「見てていいってこと?」
アレクシア
「見てて楽しいか?……まあいいが」
アレクシア
軽く笑って、包丁を手に。
シャルル:弟
キッチンが見える位置、椅子に腰掛けてその背を眺める。
アレクシア
とん、とん、と。特別速くも遅くもなく、しかし乱れない包丁の音。
アレクシア
「……このたまねぎ目に染みるやつだな……」
シャルル:弟
「あーあ」
アレクシア
うう、とか、あー、とか。小さく呻きながら。
アレクシア
それでも、さほど手こずった様子もなく。
アレクシア
包丁を使う作業はまとめて終えて。
シャルル:弟
その様子を眺めながら、暫く。
シャルル:弟
時折スマートフォンの通知に目を落としたりして。
アレクシア
作業の順序はすでに考えてあったらしく、あっちで混ぜたり、こっちで炒めたり。
アレクシア
切りそろえられた食材が、順番に鍋やら型やらに投入されていき。
アレクシア
オーブンに火が入り、鍋では煮込みが始まって。
アレクシア
一段落ついて、軽く手を洗う。
シャルル:弟
「ん……」
シャルル:弟
「そろそろ戻るって」
アレクシア
「ん。そうか」
アレクシア
「……まあまあちょうどいい頃かな」
アレクシア
鍋の火加減を少しばかりいじって。
シャルル:弟
特に時間を持て余すこともなく、なんとなく眺めて。
シャルル:弟
漂う香りに頬を緩める。
アレクシア
そちらを見遣る。
アレクシア
「……ふふ」
アレクシア
「おなか空いた?」
シャルル:弟
「まあな」
シャルル:弟
「でも……せっかくだから待ってるよ」
シャルル:弟
お腹はすかせておいたほうがいいだろう
アレクシア
「パンはちょっといいとこのガーリックフランスを仕入れてある」
シャルル:弟
「豪華だな」
アレクシア
「せっかく二人ぶんだしな」
アレクシア
「たまには、こうやってあれこれするのも楽しい」
アレクシア
再び鍋の様子を見つつ。
アレクシア
「喜んでくれるといいなと、思うしな」
アレクシア
そうして鍋の様子がほどよくなってきて。
アレクシア
オーブンのキッシュも焼き上がりの時間。
シャルル:兄
玄関の鍵を開ける音。
アレクシア
「ん」
シャルル:兄
しっかりとした黒い背広に黒いシャツ。後方で一つにまとめた髪。
いつもかけている眼鏡も、少しお固く見える。
シャルル:兄
「すみません、遅くなりまして」
アレクシア
「……おかえり」
アレクシア
ちょっと珍しい格好に瞬きをひとつふたつ。
シャルル:兄
「ん……ああ、これですか?少々仕事で」
シャルル:兄
「あまり似合わないでしょう?」
シャルル:弟
「仕事ねぇ」
アレクシア
「……仕事、なあ」
シャルル:兄
「着替えてきますね」
アレクシア
「すぐごはんにしていい?」
シャルル:兄
「ええ、楽しみですね」
シャルル:兄
通り抜けざまに、整髪料の香。
シャルル:弟
「仕事なんだな……」
アレクシア
「…………」
アレクシア
なんというか。
彼はどうして、自分の世話を焼いているのだか。
アレクシア
わかりもしないことをまた思う。
シャルル:兄
しばらくして、戻ってきたときにはいつもと変わらず。
シャルル:兄
「おまたせしました」
アレクシア
「……おつかれさま?」 そう言っていいのかどうか、少しだけ首を傾げた。
シャルル:兄
「アレクシアも」
アレクシア
「ん?いや……わたしは別に」
アレクシア
言いながら、キッシュを型から外して、パンを切り。
アレクシア
トマト煮は、鍋から皿へと。
シャルル:兄
「キッシュですか、美味しそうですね」
シャルル:兄
歩み寄り、傍へと。
アレクシア
「あんまり期待するなよ」 弟に掛けたのと同じ言葉を掛ける。
シャルル:兄
「んふふ」
シャルル:兄
「それは難しいですね」
シャルル:兄
後ろから束ねた髪の先に触れて微笑む。
アレクシア
「……文句を言わないなら別にいいけどな」
アレクシア
傍らを仰いで、少し笑い。
アレクシア
「座っていいぞ」
シャルル:兄
「ええ~」
アレクシア
「お前な」
シャルル:兄
頬に軽く口付け、手を離す。
シャルル:兄
「お邪魔しても申し訳ないですね」
アレクシア
「……お前、本当にそういうところだからな……」
アレクシア
溜息ひとつ。
アレクシア
それから気を取り直して、皿を順番にテーブルへ。
シャルル:兄
しかたなしとばかり席につく
シャルル:弟
ちらりと隣を見て
シャルル:弟
肩を竦めた。
アレクシア
白い皿に、鮮やかなトマト煮。
温かいキッシュと、香ばしい匂いのガーリックフランス。
アレクシア
グラスを3つ。
アレクシア
「……ああ、そうだ。ちょっとだけ待ってろ」
アレクシア
部屋に一旦引っ込んで、すぐ戻ってくる。
アレクシア
「……プレゼント」
アレクシア
二人の両手ほどの、白い箱がふたつ。
アレクシア
テーブルの上へ。
アレクシア
「……まあ、ふたつあるけど。二人でどうぞ」
シャルル:弟
「ありがと」
シャルル:兄
「ふふ……嬉しいですね」
シャルル:兄
手にとって箱の縁を指先でなぞる。
アレクシア
「後に残るものがいいかなとも思ったんだが、……決まらなくて」
アレクシア
「だから、それは消え物」
アレクシア
「……もしよかったら、そのうち、一緒に何か選びに行ってくれると」
アレクシア
「……嬉しいかな」
シャルル:弟
「…………」
シャルル:弟
「あけていい?」
アレクシア
「もちろん」
シャルル:弟
箱のうちの一つを手にとって指をかける。
アレクシア
片方の箱には、日本酒の小瓶が三本。
アレクシア
「……いいやつらしいけど。口に合うといいが」
シャルル:弟
「へぇ……」
シャルル:弟
瓶のうちの一本を手にとって眺める。
シャルル:兄
その隣で、もうひとつ。
アレクシア
もう片方には、洋酒の小瓶が三本。
シャルル:兄
「こちらも良いものが入っていますね」
アレクシア
「二人で好きなように飲んでくれ」
シャルル:兄
「ありがとうございます」
アレクシア
「どういたしまして」
シャルル:兄
「祝っていただけるのは嬉しいですね」
シャルル:弟
「俺たち、親の顔覚えてないもんな」
シャルル:兄
「家族と祝うのは覚えている限り初めてかもしれませんね」
アレクシア
「……じゃあ、その初めてを」
アレクシア
「わたしに祝わせてくれてありがとう、だな」
シャルル:弟
「はは」
アレクシア
「……誕生日、おめでとう」
シャルル:弟
「ありがとう」
シャルル:兄
「ありがとうございます」
シャルル:兄
ふと、その箱を横へと置いて。
シャルル:兄
「せっかくのご馳走ですし、冷める前にいただきましょうか」
アレクシア
「ん。……めしあがれ」
シャルル:兄
彩りのある鮮やかな食卓。
シャルル:兄
「いただきます」
シャルル:弟
「いただきます」
アレクシア
「いただきます」
アレクシア
なんとなく。
以前、一人で作って、一人で食べていたときとは違う気持ち。
アレクシア
誰かに。大切な相手に。
アレクシア
おめでとうの気持ちを込めて。
シャルル:弟
誕生日というものはみんなで祝うものだった。
なんか、友達とか、そういう感じで。
シャルル:弟
いい思い出ばかりじゃなかったけど、結構覚えているものだ。
シャルル:弟
だけど、たぶん……今日のは特別。
シャルル:弟
できたての温かい手料理。
心のこもったって、こういうもののことを言うんだろうな。
シャルル:弟
美味しい。
シャルル:弟
それ以上に、嬉しい。
シャルル:兄
誕生日を祝うということを、あまり考えたことがなかった。
シャルル:兄
プレゼントを貰ったり、祝の言葉をかけられることはあっても
シャルル:兄
こうしてゆっくり食卓を囲むのは初めてかもしれない
シャルル:兄
自分のものとは違う味付けの料理。
三人分の話し声。
シャルル:兄
興味はないと思っていたものが、内側に染み込んでくる。
シャルル:兄
「たまには、アレクシアの手料理を囲むのも良いかもしれませんね」
シャルル:兄
「職務放棄になるかもしれませんが」
シャルル:弟
「職務なのかよ」
アレクシア
「仕事らしいぞ?」
シャルル:兄
「まあ、9割趣味ですが」
シャルル:弟
「ほぼ趣味じゃん」
アレクシア
「まあ別に、わたしが作るのは構わんが」
アレクシア
「お前ほど上手くはないぞ」
シャルル:弟
「そんなことないよな」
シャルル:兄
「美味しいですよ」
アレクシア
「……そう?」
アレクシア
「ならいいが」
シャルル:兄
「じゃ、今度一緒に作りましょうか」
アレクシア
ん、と目を瞬く。
アレクシア
「一緒にか」
シャルル:兄
「エプロンとか新調します?」
シャルル:弟
「オマエ形から入る所あるよな」
シャルル:兄
「アナタだって見たいくせに~」
シャルル:弟
「否定はしないけどよ」
アレクシア
「お前たちな……」
アレクシア
「まあいいが……お揃いとか言い出すなよ?」
シャルル:兄
「え~」
アレクシア
「言う気だったのか」
シャルル:兄
「それは種類次第ですね」
シャルル:兄
「流石に27でフリル付きなどは似合わないでしょうし……」
アレクシア
「……お前、時々信じられないようなことを言うよな……」
シャルル:兄
「えっ、似合いますか?」
アレクシア
「そういう意味じゃないとわかってるだろうが」
シャルル:兄
「ふふ」
アレクシア
「というか、わたしもフリル付きなんて着ないからな」
シャルル:兄
「ええ~」
シャルル:兄
「絶対似合いますのに」
アレクシア
「やだ」
シャルル:弟
「ええ~」
アレクシア
「おい。のるな」
シャルル:弟
「俺も見たいもん」
アレクシア
「は?」
シャルル:兄
「2対1ですよ」
アレクシア
「ええ……」
シャルル:兄
「行きますか、週末」
シャルル:弟
「土曜なら開いてる」
アレクシア
「本気でフリル付きを着せる気じゃないだろうな……?」
シャルル:弟
「良いのがあれば……?」
シャルル:兄
「そうですね」
アレクシア
「ええ~……」
シャルル:兄
「んふふ」
シャルル:弟
「はは」
アレクシア
「普通のにしてくれ……」
シャルル:兄
「行ってみてのお楽しみですね」
アレクシア
むう。
シャルル:弟
「ちょっと大きいとこ見に行くか」
シャルル:弟
「あ……そうだ、エプロンといえば」
シャルル:弟
「こないだ受けた契約のとこ受かりそうなんだよな……保育園の事務と雑用。」
シャルル:兄
「そんな仕事できるんですか?」
シャルル:弟
「事務だし」
アレクシア
「そうか……よかったな」
アレクシア
「本決まりになったら、それもお祝いかな」
シャルル:兄
「ええ。じゃあその時までに……」
シャルル:兄
「おそろいにするかフリルにするか決めておいてくださいね」
シャルル:弟
二択なんだ
アレクシア
その二択なのか?
シャルル:兄
「ね」
アレクシア
……一番シンプルなのの色違いとかでお茶を濁せないかな……
シャルル:兄
「3つにします?」
アレクシア
「3つ?」
シャルル:弟
「いや、俺は別にいらないだろ」
アレクシア
「……おそろいにするならお前も道連れにするか」
シャルル:弟
「道連れ……」
アレクシア
「おそろい。着てくれるだろ?」 半分やけっぱち。
シャルル:弟
「う……」
シャルル:弟
「…………まあ」
シャルル:弟
「アレクシアがそういうなら……」
アレクシア
「ふふふ」
シャルル:兄
「ふふ」
シャルル:弟
「…………」
シャルル:兄
「さて、デートも楽しみですね」
シャルル:弟
「そういや、夏だしさっきみたいに髪縛ったほうが良いんじゃねーの」
シャルル:兄
「ええ~」
アレクシア
「暑くないのか?」
シャルル:兄
「まあ、ご想像どおりですが」
シャルル:兄
「目付きが悪く見えるので……」
シャルル:弟
「俺に喧嘩うってんのか」
アレクシア
なんとなく二人を見比べる。
シャルル:兄
「そんなことありませんよ」
アレクシア
どちらも優しい目をしているように見えるのは。
アレクシア
……まあたぶん、そういうこと、なのだろう。
シャルル:兄
「怖い顔しないでください」
シャルル:弟
「誰のせいだよ」
アレクシア
「……ふふ」
アレクシア
零れるように笑う。
アレクシア
「……仲のよろしいことで」
シャルル:弟
「うう……」
シャルル:兄
「んふふふ」
アレクシア
「お前たちが、二人でここにいてくれて」
アレクシア
「うれしいよ」
シャルル:兄
「こちらこそ」
シャルル:兄
「大好きな人と共に暮らせて幸せです」
シャルル:兄
「あとで服を選んでおきましょうか。半袖着れないんですが。」
シャルル:弟
「…………ま、外そんなに歩かないし大丈夫だろ」
シャルル:弟
「俺も毎日嬉しいよ」
シャルル:弟
「二人といれて」
シャルル:兄
「二人って言いました?」
シャルル:弟
「…………」
シャルル:弟
「…………まあ、ふたり……」
シャルル:兄
「聞きましたアレクシア、デレですよ」
アレクシア
「デレとか言ってやるなよ。いいだろ、別に」
シャルル:兄
「うふふ」
シャルル:弟
「…………」
シャルル:弟
「いいんだよ、もう」
シャルル:弟
「俺もおとなになったの」
シャルル:兄
「ええ~」
シャルル:兄
「本当でしょうか……」
アレクシア
「お前も大概大人げないな……」
シャルル:兄
「大人ですから」
アレクシア
「はいはい」
アレクシア
「まったくお前は……」
シャルル:兄
「…………」
シャルル:兄
「ふふ」
シャルル:兄
「片付けは我々でおこないましょうか」
シャルル:弟
「ん」
アレクシア
「座っててもいいんだぞ」
シャルル:弟
「すぐ終わるし、作ってもらったから」
シャルル:兄
「ええ。とても美味しかったです」
アレクシア
「……なら、よかった」
アレクシア
「ありがとう」
シャルル:弟
「ごちそうさま」
アレクシア
「うん。お粗末さまでした」
シャルル:兄
立ち上がり、テーブルを回って。
シャルル:兄
「いつもありがとうございます」
シャルル:兄
肩に触れる
アレクシア
「……なんで、お前が礼を言う?」
シャルル:兄
「存在しないと思っていた幸福を得ることができたのは、アナタのおかげですから」
アレクシア
「……大げさだな」
シャルル:兄
「……本心ですよ」
シャルル:兄
頬に触れて微笑む
アレクシア
触れた手に、手のひらを重ねて、その顔を仰ぐ。
アレクシア
「……幸せか」
シャルル:兄
「はい」
アレクシア
「……わたしといて、幸せでいてくれるなら」
アレクシア
「うれしい」
アレクシア
「……わたしも幸せだよ」
シャルル:兄
「ふふ」
シャルル:弟
「…………」
シャルル:弟
その顔を見て、微笑む。
シャルル:弟
俺も幸せだよ

どうして交わったのかわからない、一人と、一人と。
そこにもうひとつ、交わった一人。

今は三人。

そうでなかったら、きっと見つからなかった幸せが。

ただ、やさしく、そこに。