夜が更けて、見張り当番以外は寝静まった後。
シャルル
自室の本棚に名前ごとにファイリングした書類を戻し、机の上を整理する。
シャルル
毎日の仕事は滞りなく、日々の糧に困ることはない。
シャルル
堕落の国においても、このレベルの生活は可能だと証明できている。
シャルル
今はまだ。
アレクシア
そこに。
アレクシア
こん、と。ごく軽く、ささやかなノックの音。
アレクシア
他の物音がしてさえいれば、紛れてしまうような。
シャルル
振り返り「どうぞ」と声をかける。
アレクシア
「……起きていたみたいだな」
アレクシア
扉が開き、顔を覗かせる。
シャルル
「ええ。少しばかり書類の整理を」
アレクシア
「仕事熱心で結構」
シャルル
「ここのところ順調ですからね。顧客も増えましたし」
アレクシア
「ああ。……このまま順調であってくれればいいんだが」
シャルル
「まあ、当面運用に問題は発生しないと思いますが……」
シャルル
「起こりうるとすれば、やはり『救世主』の不足でしょうか」
シャルル
「最後のひとりになろうというものが現れたときは」
シャルル
「こちらで、何らかの対策をする必要が出てくるかもしれません」
アレクシア
「……通常の運営に関しては、実際のところ、問題はないだろうと思う」
アレクシア
「だが、それでも、……わたしはいつも怖いよ」
アレクシア
「……この国で、何かに『ずっと』を求めるのは難しい。それがなんであれ」
アレクシア
小さく息をつく。
シャルル
「そうですねぇ」
シャルル
「でも、何も変わらないわけじゃありませんし」
シャルル
「各自のコインの総数に調整をいれてもいいかもしれませんね」
アレクシア
「……まあ、増えてもきたからな。そもそもの枚数」
シャルル
「わざわざ乗り込んでくる者はいないと思いますが、仕事先で強力な救世主に出会う可能性も高くなっておりますし」
シャルル
「今の状態で誰かが死ぬと、他の誰かに影響する可能性が高い」
シャルル
「長期運用のメリットであり、デメリットですね」
アレクシア
「わたしも、今の面々に欠けてほしくはないよ」
アレクシア
「……誰も知るわけじゃない。ただ……あいつらにあったかもしれない未来も、わたしは、他の全てと一緒に蹴った」
アレクシア
「別に、だから、というのがすべてじゃない。だが、できるだけしてやりたいとは思っている」
シャルル
「相変わらずお優しいですねぇ」
アレクシア
「甘いと笑ってもいいんだぞ」
シャルル
「もう、笑えませんよ」
シャルル
歩み寄り、冷たい手を伸ばして髪に触れる。
シャルル
自分が自分を苦しめたいと思った時。
自分が相手を苦しめたいと思った時。
シャルル
どうすればよいかを知っている。
シャルル
「……私もできる限りをしていくつもりです」
シャルル
もちろん、最優先はアナタですが。
アレクシア
近づいた距離に、その表情を見上げる。
アレクシア
もしも、ふたつを天秤にかけたら。
かけなくてはならなくなったら。
アレクシア
選べるだろうか。わたしは。
アレクシア
ふと目を閉じて。
アレクシア
「……わたしにできる限り、というのは」
アレクシア
「……我ながら、甚だ頼りないな」
シャルル
手にとった一房の髪に口付けて。
シャルル
「私を使っているのはアナタでしょう?」
シャルル
「アナタが生きていることが、何より……」
シャルル
「何より、大切なことですよ」
アレクシア
「……」
アレクシア
「お前は、すぐそうやって甘やかす」
アレクシア
「まったく……」
アレクシア
「お前、わたしにかかずらってばかりいるより、もっと違うことをしたほうがいいんじゃないのか」
シャルル
「え~」
シャルル
「そんなことないですよ」
シャルル
「アナタこそ、そんなことばかり言って」
シャルル
「もっと自分を優先してくださいねって、言ってますのに」
アレクシア
「性分だよ」
アレクシア
「どうしようもない。たぶんな」
アレクシア
淡い苦笑。本当に、どうしようもない。
アレクシア
まがりなりにも自分を大切にしようと思うのは、シャルルがいるからだ。
あの日の記憶と、今、ここに重ねている日々があるから。
シャルル
「共に過ごせて幸福ですよ」
シャルル
「疑ってはいないでしょう?」
アレクシア
「うん」
アレクシア
「疑っていたら、今ここにはいない」
アレクシア
「……わたしは臆病なんだと言ったろう。……自分よりも、失うのが怖いものがある」
アレクシア
「ただそれだけだ」
アレクシア
とん、と。左手に持っていた小さな箱で、シャルルの胸を軽く叩く。
アレクシア
「お前とかな」
シャルル
「んふふ」
シャルル
「おんなじですよ」
アレクシア
「うん」
アレクシア
「……わかってるよ」
アレクシア
小さく。
アレクシア
「まあ、だから」
アレクシア
「こういうものを渡したりもする」
シャルル
「おや」
シャルル
箱を見下ろす。
アレクシア
「なんだったか」
アレクシア
「……バレンタイン?」
アレクシア
「サトルとユーゴが言っていたやつ」
シャルル
「ふふ……ありがとうございます」
アレクシア
「いや、……うん。どういたしまして」
シャルル
箱を受け取って微笑む。
シャルル
「あけても?」
アレクシア
「ああ」
シャルル
箱を開いて、中身を確認する。
アレクシア
小さなブロックのチョコレートに、赤い封蝋の意匠が乗っている。全部で5つ。
アレクシア
そしてひとつだけ、封蝋の代わりにハートが。
シャルル
「ふふ……」
アレクシア
「……どういう笑いだ、それは……」
シャルル
「可愛らしいですね」
シャルル
ハートのそれを、手に取り。口に運ぶ。
シャルル
上品な甘味が口の中に広がる。
シャルル
「美味しいです」
アレクシア
「……ならいい」
シャルル
「一口いかがですか?」
アレクシア
「ん?」 ぱち、と瞬く。
シャルル
箱の中からひとつを取り出して、口元に差し出す。
アレクシア
「…………」 逡巡。
アレクシア
そうしてなにやら、少しばかり、呻くようでもあり。
アレクシア
素直に口を開けるのには躊躇いがあるのだが。
アレクシア
「……はあ……」
アレクシア
なんとなく、こういうとき、適当に引いておかないと痛い目を見るような気もして、口を開く。
シャルル
その舌先に乗せるように、甘いひとくち。
アレクシア
「……ん」
シャルル
「美味しいでしょう」
アレクシア
「だな」
アレクシア
「……よかった」
シャルル
残りをしまって、ふと思い出したように。
シャルル
「そうだ、私も……ひとつお渡ししようと思っていたものがありまして」
シャルル
机の上へ、箱を置いて。
代わりに引き出しから長方形の箱を取り出す。
シャルル
「どうぞ」
アレクシア
「ん……」
アレクシア
やや首を傾げて受け取る。
アレクシア
「開けても?」
シャルル
「ええ」
アレクシア
その笑みに、箱を開く。
シャルル
蓋を開くと、中には光沢を持った緑色のペンが一本。
シャルル
蓋を取り外せば、万年筆であることがわかる。
アレクシア
「……万年筆か」
アレクシア
「……いい色だな」
シャルル
「使い勝手の良いものが一本あると便利でしょう」
シャルル
互いの目の色。エメラルドのような。
アレクシア
指先でペン軸をなぞる。
アレクシア
シャルルがどうしてこの色を選んだのか、なんとなく、わかる気がして。
アレクシア
「大切にする。……ありがとう」
シャルル
「……ええ」
シャルル
「喜んでいただけたのであれば、なによりです」
シャルル
7通の封筒と便せん。署名と蝋印。
シャルル
あの日集められるはずだった7人は、今も集落で暮らしているのだろうか。
シャルル
館に残された、彼女を置いてきぼりにして。
アレクシア
どんな書類に、幾度署名しても。
アレクシア
きっと、あの日に書き並べた七通の重みを忘れはしない。
アレクシア
今となっては、書かれることなく記憶の果てに消えた七つの署名を。
シャルル
「使ってくださいね」
アレクシア
「うん」
アレクシア
「ちゃんと使うさ」
アレクシア
日々手にして、使って、手入れをして。
そうしてずっと。
アレクシア
大切にする。
アレクシア
ずっと。

交わされる瞳と瞳の色が、心を繋ぐように。

その手に握るただ一本のペンに、きっと繋がれるものがある。

こんな世界で、それがどれだけ難しくても。

ずっと。